白湯でもどうぞ

2児の母さゆです。働き方改革・子育て・家事...私の話を聞いてもらえますか!?

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

記録はアナログかデジタルか? 最近の運用をまとめておきます。

7月に向けてほぼ日手帳カズンアベック(下半期のみ)と、万年筆を購入したさゆです。

デジタルでやればいいじゃんとiPad miniを持ち歩いてみましたが、やはり手帳だわ。と思い直して買い揃えました。

デジタルにはメリットが多い、足りない部分をアナログで補う

保育園の献立表も、これまでデータでいただいていたものをプリントでもらうようにしました(好きな方を選べる)。

というわけで、盲目的にデジタルで情報を管理していた私が、最近アナログも取り入れるようになったよという話をします。

デジタルで統一しようと思ったがうまくいかなかった

少し前までは何でもかんでも全部デジタルにするのが最強だと思っていました。
タスク管理も記録も思考の整理もメモも何もかも。
デジタルの方が圧倒的にメリットがあると思い、iftttなどを使用して自分のアウトプット(Tweet、日記、ライフログ、たすくまの情報など)を全てEvernoteに集約していました。

なぜそこまでデジタルにこだわったかというと

  • 検索可能である
  • 嵩張らない
  • クラウドに情報を置いておけばどこからでもアクセスできる
  • 後から加工が容易である
  • 他者と容易に共有できる
  • 違うアプリやサービスへのエクスポート・インポートによる引っ越しができる

という点です。私が挙げるまでもなく皆さん感じられているメリットかと思います。

で、全てをデジタルで管理してみようと思い、外出用にiPad miniも手に入れて一定期間運用してみました。
ですが、ダメでした。。。アナログも組み合わせてこそだなと実感しているのが現在です。

アナログのメリットを振り返る

ここでアナログのメリットもまとめてみたいと思います。

  • 書いている際に集中しやすい
  • 物理的に情報の存在を認知できる
  • エモい

全部デジタルにしてしまうと、目に見える「紙」としては存在しないため、そのドキュメントが「ある」ということを簡単に忘れてしまいます。そこにあるということを覚えていて、検索するなりして「能動的に取りに行く」ことをしないと永遠に忘れ去ってしまう場合もあると思います。(最近は、もはや忘れてしまうようなものは忘れてしまってもいいのでは?と思いますが、自分の情報だけでなく子供の情報も管理している今はそういうわけにはいきません)

物理的に片付けたくなるような「紙」「文字」としてそこに存在していることで、片付けたい欲をかりたてます。
タスクリストを書いて「赤ペンでシャ!と消す瞬間が快感で、一つの報酬となるからタスクに取り掛かることができる」というのも紙ならではのメリットかと思います。

複数の情報を一度に眺めたり、ページを繰ることがやりやすい

紙だからあっちこっち並べて、一気に眺めることができます。

デジタルだと、画面の中でウィンドウを並べたり、デバイスを複数並べれば可能は可能ですが、
「ページを繰る」作業が効果的にできるのはやはり紙だと実感します。

そして紙に対してペンを使って書く作業をしていると、体や視覚がある程度拘束されるので、その作業に集中することができます。
デジタルでも集中するためのツールや方法はいくらでもありますが、やはり作業中に別のものが意識に飛び込んでくる率は高いと感じます。作業していて気づいたら別のことをしていた!という確率が、デジタル作業になった途端上がってしまうのです。

アナログの方がエモい

紙とペンの方が、私の場合はエモみを強く感じます。
なぜなら私は文房具が好きで、どの紙にどのペンで書くと裏抜けやヌラヌラ感がどうのこうの、、と考えるのがこの上なく大好きだからです。
紙と筆記具の組み合わせがピッタリで、自分の手にも馴染むっ!馴染むぞ!そんな状況で書く。そして、その当時ならではの自分の文字の癖が残り続ける。エモいです。

最近よく使っているのはプラチナの「キュリダス」です。これはノック式の万年筆で、書きたい!と思ったときにさっとかけるし、ボディが樹脂製なので軽くてサラサラ書けます。

デジタルにもいくらでもエモみはあります。素敵なフォントだったり、色をカスタマイズできたりなど...。

でも私としては、アナログの質感を楽しむ方が楽しいなと感じられるのです。

アナログの情報をいつまでとっておくのか

「何か重要でその時にしか書けないような内容が眠っていそうで捨てるに捨てられないけど、全部見返すほどの気力はない」といったルーズリーフやノートの山が、どんどん増えていました。
今日、そのうちの一つを気合を入れて整理整頓してみようと思いました。アナログで残っている以上、後から検索ができない、嵩張る、アクセスは手にしないとできない、編集も簡単ではない。それを物理的にほっくり返して何かしらの形でデジタルにしないと、それ以上そのメモは生きることは恐らくありません。

自分が過去に残した情報は、それ自体を別の形で活かそうと考えた際には、他人(今や未来の自分も含め)へ接続しないことには、そこにただあり続けるだけで、家の片付けを邪魔する存在でしかないわけです。運が良ければそれを見て今の私が「ああこんなこと考えてたんだ、懐かしい〜」なんてノスタルジーに浸るための宝物にひょっとしたらなるかもしれません。

その「ひょっとしたら」のために紙のメモを取っておくには、あまりに家のスペースが足りません。親になりましたので、子供のものが増えていくので、自分のものに対する執着はかなりライトになってきました。
私は思い切って紙のメモを全て捨てました。宝物になりうる紙の手帳だけを残して。

思考過程でアナログを使う→成果物はデジタルで残す

結論として、アナログに求めるのは思考の途中経過なのかなと思います。
何かを考えている際にアナログを使い、情報を眺めて、形にする。その形はデジタルにする。
それができたらアナログはさようならする。
エモい手帳だけは残しておく。

これでいいのかなと思います。

 

↓実はこれを聞いて、改めてアナログとデジタルについて考えたので書いてみました!

voicy.jp

まとめ

  • 思考過程には積極的にアナログを使う
  • 成果物はデジタルで残す
  • 用が済んだアナログの情報は潔く捨てる